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私があがり症&社会不安障害の時、どんな心理状態と思考をしていたか

私のあがり症&社会不安障害時の内面を思いつくまま感じるままに書き連ねてみよう

人にあがり症だと思われたり、感じ取られたり、それを指摘されたり、笑われたりされないように、モーレツに頑張った(つもり)。 それをやり遂げたかに思われたが、いつまでたってもあがり症については治る気配はなかった。

私があがりそうな気配のあることは、立場上、幸いにも人に任せることができたため、助かった部分があった。
しかし、外面は偉そうに「上」の人間として振る舞っていたが、自分だけある秘密を知っていた。
それは「びくびくしてすぐあがって、しどろもどろになり、人から嫌われたり、笑われたりすることを極端に恐れる存在」だということだった。
その驚愕の真実を他人に悟られないように慎重に、ある部分では気張って生きてきた。

ある時期まではうまくいってたが、立場・地位に異動があると、もろくも崩れ去ってしまった。そうなると、「あがり症」が人に知られ、笑われたり軽蔑されたりする場面に直面することを恐れるように。それまで強く振る舞ってきただけに、もしあがり症で大失敗して大恥をかいた時のことを想像すると怖くてたまらなかった。だからあがりそうな場面が来ると冷や汗が出て、夜も眠れなかった。

「どうしようどうしよう、どうやって避けようか、うまくばれない方法があるだろうか? 風邪で休むか? しかしそんなことばかりやっていたらいつか限界が来るに決まっている。逃げられっこない。明日しのげても、いつかぼろが出る。もう影ではあがり症だとひそひそ噂し合っているんじゃないか? 偉そうにしているくせに、ノミの心臓をしている男として知れ渡っているんじゃないか? そうなると俺は威張っていていいのだろうか? 今度ばかりはうまくやらなければいけない。本当に強くなって見返してやらなければ駄目だ。しかし……」

それを考えると、心が安まらなくなった。動悸が激しくなり、目の前が暗くなった。積み上げてきた地位を守るためにそれまで頑張ってきた努力が、私のたった一つの、それもあがりの大弱点のためにすべてが崩れてしまう。

そんな日がずっと続き自律神経が狂いだし、だるくなっていった。すべてに張り合いがなく、つまらなく感じた。考えれば考えるほど、軽度のあがり症が重症化してしまった。イライラと憂鬱を交互に繰り返し、どちらも苦しくてたまらなかった。

目が覚めているときはいつも、「あがり症」「会議」「プレゼンテーション」「「スピーチ」のことばかり頭に浮かんでしまって、くよくよ考えてしまう自分に嫌悪感を持った。そのくせ、私はプライドをもっており、プライドの高さと私の情けない弱点であるあがり症との絶望的乖離にも苦しめられた。

プライドの高さは厄介だった。それは時には頑張れる原動力にもなるが、私にプライドがなければ、あがり症になっていなかったかも知れない。「人によく見られてよう、すごいと思われたい、失敗だけはしたくない」こんな考えは絶対に自力で消すことができなかった。

俺は俺だ、誰になんと思われても関係ないなんていう覚悟ができている御仁がいるが、ものすごくうらやましく思った。俺にはできない。私はみなから一目置かれたいと思っているくせに、目立ちたくない心もあった。自分でも生きにくい性格だと常々思ってきた。

ただ努力というか潔癖なのか、完全主義者なのかわからないが、けっこう極端な性格だったと思う。だらけている奴や、頑張れない奴が大嫌いだった。だからずっとよく思われよう、自分で納得した道を歩もうと決意し、その部分では頑張れる人間だった。

そこに全精力を注入できたのに、あがり症がばれそうになる予感にさいなまれてしまったら、そればかりに全神経をつぎ込んでしまう。損な性格をしているとつくづく思ったが、でもプライドの高さからか、そういう性格じゃないと社会でやっていけないという誇りもあった(だからふやけた奴に嫌悪感をますます持ってしまう)。

会社でもいい環境と人間関係に恵まれて、かなりの上の方まで進むことができた。あがり症だとわからせないで、よくここまでできたものだとプライドが満足した。

それで私の下につく奴に対して、少しでも自分の理想にそぐわないと(つまり頑張る能力が少ないと)、見下す癖があった。なんでここまで自分の中で傲慢になれるのだろう? と自問自答したが、良くなった『あがり症・話し方弱点克服プログラム』をやっていくうちに、自分のあがり症という弱点があるから、人への攻撃性が出てしまうことに気がついた。

そうやって相手を見下すことで、プライドを肥大化させて(それはガンにしかならないのだ)、弱点から目を背け、自分を守ろうとしていたことに気がついた。ちょうどあるホームページでも、自分を分析している同タイプの人がいたが、「なるほど!」と思うくらい、私に似ていた。あがり症という弱点を抱える自分に満足できないから、プライドだけを上げて、私自身の自己崩壊を防ごうとしていたのだった。

それは癌にしかならない。プライドの高さは、その人の内面の自信と実績と比例していなければいけない。しかし、外面ばかりよくしようと学歴や社会的地位は手に入れることができたが、内面の自信はこれっぽっちもなかった。

しかも、あがり症がいつかばれてしまうだろうという恐怖感と不安の中、社会的地位と会社の中での立場さえ崩れ去る予感があった。内面と外面の両方とも失ったら、私はもう生きていけないと感じた。怖くて怖くてたまらなかった。

よく思われなくてもいいといくら自分に言い聞かせても、決して自分の無意識部分は納得してくれなかった。それどころか「あがるな」という命令が、「お前はあがり症である!」という事実を一層深めた。

私が『あがり症』という事実から逃れたい、必死で打ち消したい、見ないようにしたい。しかし『頼むから、あがらないでくれ!』と願った時点で、あがり症を自分から見てしまう。怖いものを見たくないのに、ちらっと見てしまって、よけい怖くなってしまう状況に似ている。

「どうしたらあがらなくできるのか? どうしようもないことなのか? なぜみんなあがらずに会議や発言ができるのか? 頑張ってあがり症を打ち消そうとしても、余計パニックに陥ってしまうのはなぜなのか?」

葛藤を続けていくうちに、すっかり出口が見えなくなり、ジレンマに陥った。私は「あがり症」さえ治ることができたら怖いものはなくなる。そうしたら、悩みは全くないといってよかった(と当時考えていた)。

しかし、他の人がいくら悩みと欠点を持とうとも、私のたった一つの弱点に比べたら、生きやすい。思う存分力を発揮できるだろうと思った。

「あがる」というただ一つの悩みと弱点が、人生すべてを黒く覆い隠すほど厄介なものだった。あがり症は、すべての私の行動一つ一つについて回った。

例えば、楽しいはずのセックスさえも、緊張によって、使い物にならないことが多々あった。精神的な悩みは、男のあそこの働きに直結してしまう。焦れば焦るほど、使い物にならなくなる。一番あがり症・緊張のメカニズムを現している事象だと思う(女性もそうだと思うが)。私の人生そのものが「あがり症」というもので言い表せた。

いったんあがってしまうと、その状況が不都合でいやでいやでたまらないから、打ち消そうとする。これは私だけじゃなくて、誰もが陥る罠だと思うが、プライドが高いほど、その状況が許せなくて、焦ってしまう。焦ったら、体と思考に柔軟性がなくなって、「あがる・あがらない」の世界になってしまう。

「あがっている、どうしよう」という思考から、「どうしよう、どうしよう、どうしよう×∞(無限)」のパニックに支配されて、頭が真っ白になる。もうどうしようもなくなってしまうのが私の特徴だった。いろんな人の体験談を読む限り、みなそうなのかもしれない。

あがり症の極致の状態は、言葉にならない状況だが、あえてあがり症のパニック状態の時に何を考えているかというと
「言葉を発しなくちゃいけない、沈黙はやばい、場を取り繕わねば、みんな変な目で見ているだろう、どうやってごまかそう、誰かがひそひそ話をしている、俺の悪口を言っているに違いない、笑い声だ、どうしよう、笑っている、絶対変に思われている、これが終わったらどうやってみんなと話そうか、威厳は保てるだろうか? 俺の人生は終わりだ、破滅だ、くそ、どうしよう、低く見られる、俺のことを馬鹿にするだろう、生きていけない、死にたい、死んでしまおうか、最悪だ、いまこの場から出て行ったら、よけい変に思われてしまう、だれか助けて、どうしよう、どうしよう」
0,01秒でこんなことを考えているに違いない。考えているというより、理性も何もかも吹っ飛んで、パニックになっていて、まともに考えていないかも知れない。

何度死のうと考えたことだろう。しかしプライドが許さなかった。ここで死んだら完全に負け犬であり、なんでここまで苦しんでいたのか、それらが無駄になってしまう。許せなかった。
年老いた親や妻、子供たちのことを考えると死ぬわけにもいかなかった。しかしあがり症のパニックになったときに、皆から大笑いされたり、蔑まれたり、必要以上に同情されたり、低く見られたりして、それをはっきり言葉で指摘されたのならば、それがビルの屋上だったり、ピストルが近くにあったら、即座に自殺していただろう。

私は重度のうつ病というほどではなかったので(あのままいっていたら、完全に重度のうつ病になっていたか、統合失調症になっていたかも知れない)、あがり症が頂点に達したときにしか死ななかったと思うが、いつも死にたい、生きていけないと思っていた。

仕事も手につかなくなったし、私のことを保護してくれる人ももういなかった(それまでは幸い人事に恵まれていた)。みな私を陥れたり、笑いものにする不倶戴天の敵だと思えてしょうがなくなった。

話し方教室やビジネスマンのための自己啓発セミナーにも行ったし、催眠療法にもかかりにいった。精神科に行ってあがり症を抑える抗不安薬を服用したりもしたが、どれも解決に導いてくれなかった(後述)。

自分の境遇を呪った。落ち込みが激しくなった。仕事も手につかなくなり、ミスが異常に増えてしまった。常にあがり症がばれそうになったときの対策のため、体を壊したとまわりに言いふらした。体が不調ならば、会議などあがり症が出てしまう場所で頭が真っ白になったとしても、大義名分ができるから。我ながらいい策だと思った。

あがり症になったとき、顔面蒼白もしどろもどろもすべて理由がつく。だが、そんな体をこわし続けている人間を、誰が徴用するだろうか? ああ、いっそのこと社長になれば、あがり症になる場面を独断で回避できるのに。

なんと中途半端な、それも、部下に示しをつけなくてはいけない地位まで昇ってしまったのか。いっそのこと平社員ならばよかった。ただ一つのあがり症のために、私はすべて社会的地位をも失ってしまう。プライドも保てなくし、家族も養わなければいけない重圧があった。

また後悔してしまった。独り身ならば、身動きがいくらでもとれた。給料は同世代よりもけっこういいものをもらえていたが、左遷されれば時間の問題だった。また私が左遷されることになったら、プライドが完全に崩壊してしまう恐れがあった。もう不安だらけの人間だった。こうならないように頑張ってきたのに悔しかった。人生を呪った。性質を恨んだ。

私の本来あるべきはずの姿をどうにか保護するために、プライドを強くしてしまったのが、更にいけなかった。現実と理想の乖離で苦しむ羽目にさらになってしまった。心の平穏を得るために、禅寺への修行ツアーに出てみたり、瞑想をする場所にも頻繁に通った。どれも結局私のあがり症を覆すまでにはいかなかった。

ただし、私の自己分析は役に立たなかったわけではなくて、のちのちプラスに作用することになった。こうあるべきであり、こうならなければならない思いが強くなっていたのに、結果が出なかった。自信はすっかり喪失してしまい、かといって、人生を投げ出すわけにもいかず・・・・

これが「あがり症」に苦しめられたときの私が内面で思っていたことだった。そればっかり考えていたといっていいし、そのままいったら永遠に考えていたかも知れない。

考えていたって、何にもいい成果を上げられなかったし、堂々巡りをしていたはずだ。感情の抑圧の堤防が決壊するように、自分を守る「壁」もいつか崩壊していただろう。たった一つの「あがり症」という弱点があるばっかりに、私はいつしか守りの姿勢に入ってしまっていた。

こんな情けないが大きい弱点を持っている人間が、こんな地位にいていいのか? 人を管理し指導する立場にいていいのか? なんという大それたことをしているのだ? お前は楽しんでいいのか? あんな悩みを抱えている人が、安心していいのか? 

たしかに私は安心しようとすると、それが不安になる(心のどこかで感じてしまう)。大きなことを成し遂げていいのか、という罪の意識に似た苦しい感情もよく起こった。出世と地位の確立という目的に進んでいたとき(対人関係・上との関係にも恵まれていた)は、そんな守りの姿勢には陥ったことはなかった。「あがり症」という弱点があるからこそ、頑張ることができた。

なのに、状況が変わって、今までの生き方、やり方、地位、人間関係が通用しなくなると、急に守りと逃げと罪の姿勢に陥ってしまった。そうなると、すべてがマイナスの方向にしか考えられなくなる。そうなったら、いくら書物を読んでも、自分を啓発しようとしても無意味だった。できないと思ってしまう自分が先に来てしまうからだ。

自律神経を鍛える自律訓練法など気休めすらならなかった。逆境をはねのけることができた以前の力は消え失せた。自分をどこまでも卑しめた。低い自己評価しか与えられなかった。そしてそれがいやで、プライドを高くした。だから余計苦しんだ。その繰り返しだった。

その泥沼から抜け出すまでには何をしても駄目だった。俺の人生は破滅だと思った。

しかし心のどこかで「このままじゃ終われない、終わってたまるか」とも思っていた。ただある時期まで方法がなかった。岩波先生に出会い、「あがり症が克服できる方法」が見つかるまでが、人生最悪の時期だった。

あれ以上最悪は今後ないだろう。ないと断言していい。絶対にない。もうどん底まで落ちたのだから、これからは上がるのみ。

そうじゃなきゃ何のために苦しんだのか? 攻めの姿勢だ。俺にはそれだけなんだ。失うものはない。たくさん失ってきた。時間・喜び・充実感……今更失っても同じことだ。だから失ったものを積み重ねていこう。俺にはそれができる。自分を信じろ。やれる。

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