私の性格分析 本格的「あがり症」になるまでの内面的状況

コンプレックスを感じる人生。みんなコンプレックスはあるだろうが、私の場合は人から見ればちっぽけなことでも劣等感を感じやすいから、誰よりも多いと思ってしまっていた。学生時代からあがり症で苦しめられた。演技と知恵をフル活用して、あがり症を悟られないことばかりに神経をすり減らしていた。本番で力を出せないタイプ。あがり症がなければもっと今よりいろんなことができただろう。行動も制限されなかっただろう。だがそれでも社会的地位と学歴だけは取り繕っていた(といっても、本当の自分の能力からしたら、もっと上に行けるはずと悔しい思いをしていた)。劣等感をバネにして頑張ることができたため、猛烈に人よりも努力はできた方だった。それがうまい具合にいっていた。国語や英語の時の発表では、早口で一気に終わらしてしまおうとした。ただし幸い緊張状態のぎりぎりのところでなんとかおさめることができた。周りも緊張しているとは感じられても、あがり症でどうしようもない男というレッテルは貼られていなかった(と思う)。学生時代ははっきりと意識していなかったが、無意識では「このままではやばいな」と感じて生きてきた。改まった場所、状況が非常に苦手だったが、ぼろを出さずに何とかやっていけた。が、「生きづらいな、俺は」とよく思っていた。はっきり認識していたわけではないけれど、心に重荷があったと思う。

もともと頑張り屋だと自分でも思うし、そんなレッテルを貼られてきた。だが、人よりも、一つのことをくよくよしてしまうほうに頑張ってしまうこともあった。悩みを引きずるタイプで、それが苦痛でしょうがないから、いかに悩みに直面しないようにと知恵を使って生きてきた。知恵を使うと、感情がどんどん死んでいってしまう問うけれど、私が感情がどんどんすり減ってきたように思う。いい方向に頑張れば(たとえ本番であがり症のため力を発揮できなくても)、そこそこいい線は行っていたために、外面だけはよかった。これは幸いだったと言うべきか、問題解決を先延ばしにしただけに終わったのかわからない。いずれにしても、「あがり症・話し方弱点克服プログラム(HP)」に出会っていなかったら、私の人生は終わっていたことは間違いないと思う。

人付き合いは、友達と話すのなら全く問題ないが、人前で話す、改まった場所で話す、見知らぬ人と話す、プレゼンテーションをする、会議で発言する、クラスの発表は苦手だった。避けようと避けようとしてきたけれど、人がいて、自分の社会人の責任ある一員なら避けられるわけではない。だから、いつかあがり症がばれてしまい大恥をかく時を想像すると、憂鬱になってしまった。学生時代より社会人になってからのほうが、責任が増えるだけきつかったし、どんどんあがり症のグレードが大きくなっていた。やばいやばいと感じながらもなんとか生きてきた。

そんなあがり症という弱点で力を発揮できないなと感じていたために、いかに力を発揮できる立場を作るかに苦心した。それは実にうまくいった。私は自分で表面的なりに分析してみた。私は人の部下になると自分のペースがつかめない。人に命令されたり、矯正されたりすると、自分の能力が発揮できないし、無理矢理あがり症がばれて大恥をはかいてしまう状況に追いやられるかも知れない。それに、私の弱点をついて、あがり症を発症させようとする状況に追いやるんではないかと邪推した(損なことばかりを考えてきた)。そのためにどうしたらいいか、必死にシミュレーションをした。人に気を遣ったりして、いち早くいい立場になるんだ。早く自由に動けるように、上に行く、それしかないと頑張った。それができれば、発表はプレゼンテーションは部下に任せることができるという情けない目的からだったが・・・・・。あがり症を悟られないようにとか、大失敗を避けるためだけに上に行こうとしていた自分が情けないとも思ったが、感じること自体苦痛だから、無視した。自分というよりあがり症にこんなにも振り回され続けることが悔しいが、俺は出世してやるという風に目的を置き換えた。ある程度はうまくいったと思う。無意識では不純な動機だったが、周りの評価はあがり症がばれないかぎりは、安泰だったと思うし、一定の成功を収めた。

しかし会議は苦手だった。がくがくぶるぶる震えていた。毎回の会議が苦痛だったが、会社だから避けられない。半月前くらいから憂鬱で苦痛だったのは確かだ。いつかよくなっていると気軽に考えることができた時期だったが、発表をする時間をできるだけ短くするため、資料を作ったり、パワーポイントで説明しなくてもすむくらい前もって準備していた。それらの作業は異常に疲れた。なぜなら積極的な理由で作成していたわけじゃないから。すべて苦痛とあがり症からの会費という不純な動機なのだ。いやしさ、小細工、こずるさでやっていたから、心のどこかでは自己嫌悪を感じていただろう。

どんどん、あがり症をいかに悟られないか、その場面を避けるかが、人生の最重要課題になっていった。みじめだが、そう考えないようもしていた。堤防が決壊するまでは・・・・。いつしかやる気もすり減ってきた。私の無気力がたまっていくコップがどんどん増えていった。だから、いつコップからあふれ出すかもしれない、損な予感があって決して幸せではなかった。どんどん疲労がたまってくる。なんでこんなに疲れるんだろうか? 体がどこかおかしいんではないか? 会社にも行きたくない気持ちも強くなった。つるんでいた仲間とも、私のあがり症を悟れば、離れていくし、こっちも気まずくなるから、どこか最後のところでうち解けられないものがあった。そこがまた、いやだったし、自己嫌悪に陥る要素だった。どうにも自分の心をいい具合に制御できない焦りもたまってきた。いつしか、人付き合いも新しく作らなくした。また自分から作ろうとしなくなった。相手がつきあおうとするから、こっちも「しょうがなく」つきあうのだという形にした。それのほうが、相手が私から離れていったとしても、まだ心のダメージが少ないからだ。つまり受動的、消極的な人間になってしまっていた。守りの姿勢、逃げの姿勢、避ける姿勢の自分をうすうす嫌悪感を感じながら。人に合わせて生きてきたから、周りの表面的な評価だけは落とさないようにしていた。でもどっと疲れた。

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